いろはにほへと(二) 鎌倉円覚寺 横田南嶺管長 ある日の法話より

いろはにほへと(二) 鎌倉円覚寺 横田南嶺管長 ある日の法話より

著者
円覚寺居士林
発売日
2012年10月23日
仕様
四六判 94頁 オールカラー
定価
770円(本体700円)
ISBN
978-4-924914-15-5
言語
日本語

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本書の内容

序文より

「いろはにほへと」の第二集を出すという。表紙は円覚寺の妙香池に飛来したカワセミの写真である。カワセミは池の小魚を狙って、朝誰もいない頃に見かけるが、よく撮影できたものである。さて、このカワセミが狙っているのは何だろう、「二匹目のドジョウ」であろうか。  イエス・キリストは空の鳥を見よと言われた。聖フランシスコは小鳥を相手に説教したという。昔の高僧もまた鳥たちと共に坐った。円覚寺の開山堂にお祀りする仏光国師像にも、右の肩の後ろに二羽の鳩がとまっている。  私が京都の僧堂にいた頃、境内にはたくさんの鳩がいた。人が近づけばもちろん逃げてしまう。ある朝、境内を掃き掃除していると、同僚が頻りに私の頭を指さす。はて何事かと思うと、鳩が私の頭にとまっていた。頭が重たい気がしたはずだ。鳩だと意識した瞬間に鳩は飛んでいった。ほんの一時、無心で掃除をしていたのかもしれない。  カワセミを撮影するのも難しいが、寺にはもっと難しい鳥がいる。その鳥は「サトリ」という。「サトリ」はどんなカメラにも写りはしない。絵にも描けない。意識すればもう飛んでいってしまう。「サトリ」は難しい。しかし、何かひとつのことに無心に打ち込んでいるとき、そこに「サトリ」は現れるかもしれない。ふしぎな鳥である。(横田 南嶺)

目次より

一番近くにある大自然
無常について
自分を抜きにして
気づくこと
一つの塵の中にだも
底のない桶で
生きることが何よりの供養
延命十句観音経
牛を飼い馴らすように
獅子奮迅
念に気づく
何もかもなげうって
海の中の魚の喩え
判断をする時
千手観音
教えないという教え方
無心のはたらき
成仏の姿
天下の蔭涼とならん
自分で判断せよ
どんな時代であっても
腰骨カウンセリング
三つの力
気持ちを込める
生きる道のよすが

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